理解して教える 2021.2.6

前回のコラム「わかりやすく教える」で教え方についての話をしましたが、今回は「理解して教える」について考えてみます。

人に教えるには、教えることに対して理解をしていなくてはなりません。

教えることはできても、理解をしていないで教えていることがあると、前回のコラムを書きながら私の経験を思い出しました。

その経験について書きたいと思います。

私が今の仕事に転職した当時、5人しか職員がいない職場でありながら、私ともう一人が新人であり、ベテラン職員も役職が代わり新しい仕事を担当するなど、ある意味みんなが新人という環境でした。

唯一の大ベテランは職人肌で、「俺の背中を見て学べ」といった考えで、ほとんど教えることはありませんでした。

そのような環境では、マニュアルを読んだり過去のファイルを調べて、見様見真似に仕事をするしかありません。

私のメインの仕事は計算して書類を作ることでしたが、経験のない私にはその数字がどうやって計算されるのか、そしてどのような意味があるのか分かりません。

マニュアルを見ても専門用語だらけで良く分からず、忙しそうにしている上司に恐る恐る聞くも、わかりやすい説明はなく結局理解できずでした。

それでも何度もこなすことで、

「この数字はここに入る」

「この計算式はこれに使う」

など感覚的に覚え、ミスなく書類を作れるようにはなりました。

しかし、後輩ができその仕事を引き継ぐときに、

「教えることはできても、理解ができていない」

ということを感じることがありました。

とある書類を作るときに、

「Aの金額を算出するには、Bの金額からCを引くことでAが導きだされる」

といった計算があったとします。私は機械的に、

「A=B-C」

と内容は特に意識せず覚えていました。この式を知っていれば書類の作成はできたからです。

しかし、後輩にこの書類の書き方を教えるときに、

「なぜBの金額からCを引くのですか?」

と聞かれ、それを知らない自分がいたことに気付きました。

なぜなら、私がこの計算を覚えなければいけなかったときの職場環境の中では、「なぜ」を知るすべがなく、単純に式を覚えるしかありませんでした。

それが後輩に教えるときに、

「自分は理解していない」

と気付くきっかけになりました。

それからは、形だけで覚えてしまっていることは、

「なぜそうなるのか」

自分で一度理解してから教えられるよう心掛けるようにしました。

また、マニュアルやファイル任せにせず、しっかり教えるようにもするようにしています。

このように、「わかりやすく教える」には自分自身の理解が大切であり、またそれを教える「上司や先輩」の役割も重要であると思います。

先生や講師のなどは、教え方をし理解した上で教えていますが、教える経験や知識のない人には難しいことかもしれません。

後輩や部下ができた際には教える側も、

「教え方」

をしっかり学ぶ必要があるのではないかと感じました。